日本の皇室、日本全体の守り神、伊勢神宮 ③

日本最初の庶民による団体旅行、お伊勢参り

伊勢神宮は、天皇制から武家社会に移ってからも最高神として崇拝されてきました。が、中世に入り、戦乱の世になると、式年遷宮の大祭はしばらくの間中断されてしまいました。戦乱の影響で神宮の領地は荒らされ、経済的にも苦しい時代を経ることになります。

そこで立ち上がったのが、神宮で祭祀を取り仕切っていた祭司たち、御師(おんし)です。彼らは農民などの一般市民に伊勢神宮への参拝を呼びかけるため、全国各地を回り、人々の生活に便利な暦を配布し、布教活動につとめました。 江戸時代に入ると世の中は安定し、五街道など交通網が整備され、人の移動がしやすくなりました。そこで巻き起こったのが、農民や町民による伊勢神宮への集団参拝の大流行です。人々はこの旅行のことを「お伊勢参り」と呼んでいました。

お伊勢参りはおかげ参りとも呼ばれ、巡礼というよりは観光も兼ねた参拝ツアーでした。ここでも活躍したのが御師で、彼らが暦を配っていたのがおかげ参りのきっかけでした。この時代、御師は祭司であると同時に旅行業者として大きな役割を果たしました。彼らはいわば、日本最初のツアーコンダクターでもありました。 この時代は国民の6人に1人が伊勢神宮にお参りし、その人気は「一生に一度でいいから伊勢に行きたい」と、歌にも歌われたほどでした。

人口3000万人の1/6  500 万人が民族大移動をしたことになります。これが中国だったなら、宗教がらみの反乱とみなされて処刑されていたかもしれません。当時は世界中どこでも、旅をすることは盗賊に襲わるなど命がけのことで、それゆえ護衛をつけて出かけるほどでした。この日本の自由闊達で危険のない旅が当たり前ということこそ、世界の奇跡といわれるものでしょう。しかも人間が集団で活動することは、体制を守る方からは危険な行動とされていたこの時代において、幕府のおおらかな体制維持能力は素晴らしかったとも言えます。

当時庶民は全国各地から歩いて伊勢神宮を訪れたのですが、江戸の町からは片道15日の距離でした。このような長旅、当然旅費もかかります。庶民には簡単に出せる費用ではありません。そこで、人々はコミュニティーごとに「伊勢講」と呼ばれる積立金制度を作りました。メンバーは定期的に旅行資金を出し合い、集まった資金で数名の代表者が伊勢に行くための旅費としました。代表者はくじ引きで決められ、選ばれた者はコミュニティーの名代として祈願に行くというわけです。

この構という制度は、その後も昭和の時代まで、銀行の代わりとして貧しい人々の希望を満たす道具として重宝されてきました。ここでも先にお金を得た人が高飛びして雲がくれすることなく、信頼の上に成り立つものですから、人と人との約束を守る民族性があってこその制度でした。

江戸時代には、農民や町民が旅をすることに厳しい制限が課されており、通行手形がなければ遠くに行けませんでした。ところが、伊勢神宮の参拝目的であれば、簡単に手形が発行され、通行が許されました。また、町人が親や主人に内緒で旅に出ても、お札やお土産など、商売繁盛の神様である伊勢神宮に参拝してきた証拠を持ち帰ればおとがめはなかったといいます。いい世の中でしたね。

彼らの伊勢神宮参拝ツアーは、それは楽しいものだったそうです。 御師という最強のツアコンが観光ガイドよろしく、名所を案内し、参拝の仕方を指南してくれたからです。旅行者たちは、美味しいお酒や海山のごちそうを食べ、柔らかい布団に寝て、文字通り、一生に一度の楽しい旅をすることができたのです。もちろん御師たちもずいぶん得をしたらしいですが。 江戸時代の伊勢神宮はこうして栄えていきました。

このように日本人の昔の姿はおおらかで楽しく、冒険心に満ちたものでした。女性も男性並みに旅を楽しんだことが記録に残っているので、女性の地位は明治時代よりも高かったかもしれません。また、旅をサポートすることは、その街道沿いに住む人の当たり前の行為でした。お茶やお菓子、長椅子などを用意して旅人に休憩処を提供するのは当たり前でした。現在でも旅人のためにボランティアをする人は少なくありません。「おかげさまで」という言葉通り、旅する人がいてお金が回り、経済が潤うことをみんなが知っていて、さりげなく行われていたのです。エコロジーを超えた、優しさに溢れたウィンウィンの関係を表していると思います。

現在の伊勢神宮内宮のすぐそばに、「おかげ横丁」という商店街があります。 飲食店やお土産屋さんがたくさんあり、とても楽しい場所になっています。 とくに、伊勢神宮と言えば「赤福」。この和菓子は全国的に有名ですが、本店でいただく赤福のお味は格別です。 伊勢神宮を参拝した後は、ぜひおかげ横丁に立ち寄ってみてください。

おかげ横丁ホームページ:http://www.okageyokocho.co.jp/

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子