ヨーグルトを食べて2型糖尿病のリスク低減

2014.2.12 EurekAlertより
http://www.nutritio.net/linkdediet/news/FMPro?-db=NEWS.fp5&-Format=detail.htm&kibanID=43303&-lay=lay&-Find

ヨーグルトの消費量が多い人は、ほとんど食べない人と比較して、2型糖尿病発症リスクが28%低かった。更にヨーグルト・低脂肪チーズなどの低脂肪発酵乳製品の消費量が高いと、糖尿病の相対リスクが全体で24%低下した、というケンブリッジ大学医学研究評議会( MRC )による研究。

研究チームは、英国ノーフォークに住む25,000名以上の男女を対象とした大規模EPIC -ノーフォーク研究を基に、総乳製品及び個々の乳製品の消費と糖尿病のリスクを症例対照研究によって検討した。

無作為に選択した3,502名の参加者と、11年間の追跡調査の間に新たに2型糖尿病を発症した753名の、試験開始時の一週間の飲食の記録を比較した。

その結果、健康的なライフスタイル・教育・肥満レベル・他の食習慣と総カロリー摂取量等の重要な要因を調整した後も、総乳製品・総高脂肪乳製品・総低脂肪乳製品の消費は新規糖尿病の発症と関連していなかった。

総牛乳摂取量やチーズ摂取量も、糖尿病のリスクと関連していなかった。それどころか、 ヨーグルト・フロマージュフレ(発酵だけで熟成していないヨーグルトのようなチーズ)・低脂肪カッテージチーズのような低脂肪発酵乳製品を最も多く消費していた参加者は、全く消費していない人と比較して、 11年間の2型糖尿病を発症するリスクが24%少なかった。

低脂肪発酵乳製品の85%以上を構成するヨーグルトだけで検討すると、糖尿病を発症するリスクが28%低減していた。このリスク低下は、標準的なサイズである125gのヨーグルトを週に平均4.5個消費する人で観察された。

フロマージュフレや低脂肪カッテージチーズなどの低脂肪非熟成チーズなど他の低脂肪発酵乳製品を消費する人も同じであった。更に、チップスなどのスナック菓子の代わりにヨーグルトを食べることも、2型糖尿病発症リスクを減少させていた。

研究チームは、食事調査においては長年に渡り食事がいかに変化したかは考慮していないという調査の限界を認めつつも、今回の研究が大規模で長期間の追跡調査であり、過去の記憶ではなくリアルタイムでの消費した食品に関する情報を集めて食生活を詳細に評価したものである点を強調し、ヨーグルトを主とする低脂肪発酵乳製品の消費が2型糖尿病発症リスクの減少と関連している確固たるエビデンスを示すものだと結論付けている。

・LINK de DIETより抜粋
http://www.nutritio.net/linkdediet/news/FMPro?-db=NEWS.fp5&-Format=detail.htm&kibanID=43303&-lay=lay&-Find

St. Valentine’s Day in Japan ②

前回の記事では、日本のバレンタインデーについて「女性から男性へチョコをあげる」と説明しました。バレンタインデーは終わってしまいましたが、バレンタインのイベントはまだ終わっていないのです。チョコをもらった男性はお返しをしなくてはいけないのです。

「お返しは1か月後のホワイトデーに、予算は1.5~3倍で!?」

日本特有のバレンタインデーの習慣として、ホワイトデーがあります。2月14日にチョコをもらったら、1か月後の3月14日にお返しをするものです。これもまた製菓業界が普及させた習慣で、本命だろうと義理だろうと、チョコをもらった相手に、キャンディーやクッキー、マシュマロなどをお返ししようと始まったものです。

(ちなみに、ホワイトデーの習慣は隣国の中国、韓国、台湾にも広がっているようですが、欧米ではバレンタインデーの日にお互いにプレゼントし合うので、お返しをすることはありません。欧米人にホワイトデーと言ったところで、何の話?となることでしょう。)

女性たちが「本命チョコ」にかける金額は平均して2500円~3000円なのに対し、「義理チョコ」は500円以下~100円。義理チョコは用意する数が多くなるので、ひとつにかける予算も低めです。

一方、男性側からのホワイトデーのプレゼントにかける平均予算はというと、お返しの品は金額にして1.5~3倍相当の物を用意するのが必然となり、お菓子だけでは到底足りず、ハンカチやマグカップ、文具など実用的な物を添えて補うようになり、徐々に男性側の負担が圧倒的に大きくなってしまいました。妻や恋人へのお返しであれば、ディナーへ誘うとかお花を贈るだけでも想いは伝わるはずなのでそんなに難しいことではないはずですが、会社で女子社員にもらった義理チョコへのお返しとなると何を買っていいのかわからない男性は自分の奥さんや恋人にホワイトデーのお返しを用意してもらう人もいたほどで、本末転倒極まりない状態になってしまうほどでした。

「贈り物をいただいたら、お返しをする」という日本独特の発想が発端となったようですが、最近ではわざわざお返しの日を設けるのではなく、欧米のように男女問わずチョコを贈りあう方がいいのではと言う意見も出てきています。

「友チョコとMYチョコ」

最後に、この数年で一番注目されている「友チョコ」と「MYチョコ」についてまとめてみました。

「友チョコ」とは同性の友達にプレゼントするチョコのことで、女の子の間で流行っています。幼稚園児にも認知されています。「友チョコ」と言うほどなので、あげると決めたからには友達全員に公平にあげる必要があります。たいてい、「友チョコ」は手作りお菓子か大袋入りの小分けにされたチョコを詰め合わせて、ラッピングしなおして作ります。どちらにせよ、友情にヒビが入らないよう、必要個数をしっかりと確認して準備する必要があります。

「友チョコ」が友情を女子学生たちにとって、友情を確認し、さらに絆を深めるためのものであるとすれば、「MYチョコ」は20代から40代の働く女性や主婦が毎日頑張っている自分を労うためのご褒美であると言えます。「MYチョコ」の一番の特徴は予算です。1箱9粒入りのチョコレートの詰合せが¥4000したとしても、「ご褒美なので」ためらいなく購入するのです。その現状を踏まえて、大手百貨店では世界中の有名なパティシエやチョコレート職人が作ったチョコレートを集めて行うバレンタインフェアに力を入れています。

「バレンタインデーの影響力」

メディアや製菓業界の販促活動に翻弄されている日本のバレンタインデー。旨く利用できれば、親密でよりよい人間関係を築く人や、真剣交際に進展する人もいる中、必ずしもいい影響ばかりでるとは限りません。

中高生によく見られることですが、スポーツのうまい男子、クラスの人気者には女子からの人気が集中します。特にイケメンともなれば、小学生時代から同級生とチョコの数を競い合い、知らぬ間に自己陶酔して、勘違い男に陥る男子もいれば、バレンタインデーに本命どころか義理チョコすらもらえないことで、いらぬ劣等感に卑屈に陥る男子がいるのも実情です。

女子生徒の中にはチョコレートをあげること、また誰にあげるのかに重きをおく人もいます。今年のバレンタインデーは、「話したこともないけど、カッコいいから」と人気のある男子に友達と二人でチョコを渡し、キャキャッと喜んで自己満足にひたる。チョコをあげたからといって、カップルになることを期待するわけでもなく、誰にあげるのかを決めたり、友達とチョコを選んだり、作ったりする工程がただ楽しいだけなのです。

欧米では相手に想いを伝えることが重視され、プレゼントは表現方法の一つにしかすぎませんが、日本のバレンタインデーではどれだけチョコレートに重きをおいているのかが明確で、どうやってバレンタインデーという習慣が日本で繁栄してきたのかも分かります。

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世界から見ると独特な日本のバレンタインデー。「愛している」ことを日常的に表現しない日本人に与えられた数少ないチャンスであることは間違いありませんね。特に既婚者で育児中の夫婦ともなると、愛情確認をすることにためらいがちですから。バレンタインデーを有効活用して、恋人であれ、家族であれ、友人であれ、人に対して好意的な気持ちになり、感謝の気持ちをオープンに表現する日として、楽しいイベントとしてほしいものです。

おととい、バレンタイン前日のお昼休み、職場近くのスーパーへ行くと、入り口にある小さなお花屋さんは赤いバラの花束を抱えた数人の外国人男性(近くにある米軍関係者であろう)で埋め尽くされていました。
一方、スーパーの奥にあるバレンタインチョコの特設コーナーは、いくつものチョコを抱えた女性たちで溢れていました。まさに対照的な光景でした。

ちなみに、私は主人へチョコレートケーキをプレゼントしましたが、主人からはもちろん何ももらえず(笑)。ホワイトデーを楽しみにしたいと思います。

St. Valentine’s Day in Japan ①

金曜日はバレンタインデーでしたね。この1ヶ月程の間、どこのお店も赤やピンクで鮮やかに彩られたポップ広告で大々的に飾りつけたバレンタイン専用コーナーが設けられ、テレビや雑誌ではこぞってバレンタイン特集をくみ、人気店のチョコレートの紹介や手作り用レシピを紹介していました。大手デパートでは1月中旬頃から、バレンタインフェアと称して、世界各国から取り寄せた高級チョコレートの展示即売会となる特設会場などを設けたりもしていました。

このようにメディアの注目度が高いということからも、バレンタインデーが日本人にとって大きなイベントであることが分かります。バレンタインデーは海外から入ってきた文化ですが、日本のバレンタインデーはちょっと変わっていますね。今回は海外の方向けに日本のバレンタイン事情をお伝えしたいと思います。

「バレンタインデーは女の子が好きな男の子へ告白する日」

日本のバレンタインデーの一番の特徴は、「女性から男性へチョコレート、またはチョコレートを使ったスイーツをプレゼントする」ということでしょう。またこのチョコレートを渡す行為が、「あなたを好きです」と愛の告白を意味します。好きな男の子にチョコレートを受け取ってもらえるか。好きな女の子からチョコレートをもらえるか。独身の若者や学生たちにとっては一大イベントなのです。

しかし発祥元の欧米では、男女関係なくプレゼントを贈ります。 恋人同士、夫婦はもちろん、両親や、友達、学校の先生など、身近の親しい人へ愛情や感謝の気持ちを伝えることが、バレンタインデーなのです。またプレゼントもチョコレートに限定されていません。花束やジュエリー、カード1枚のことも。相手を想っていることを伝えるのが重要なのです。

「日本でバレンタインデーが広まった理由・・・」

バレンタインデーが日本人にとって年間行事の一つに確立されたのは、製菓会社の巧みな販売促進キャンペーンによるものでした。

バレンタインデーに、「チョコレートをプレゼントする」、
しかも「女性から男性へ」、
すると・・・「恋が成就する!」

このように、行為を特定することで、バレンタインデーのイメージを固定化することに成功し、流行に敏感な女性の間で広がっていくことになります。当初は面白半分で楽しいイベントであったことでしょう。それがいつの間にか、やらずにいられない行事となるほどまでに日本人の生活に浸透していったのです。

また、企業はあらゆる戦略を使って販促活動に励むものです。それはバレンタインデーも例外ではありません。「バレンタインデー=チョコレート」と定着しているので、関連企業はありとあらゆる手を使って、自社製品の売上を上げる努力をするのは当然のことでしょう。本命チョコだけではバレンタイン戦況に太刀打ち出ません。そこでより多くの人に、より多くのバレンタインチョコを買ってもらえるように試行錯誤がなされてきました。

「本命チョコと義理チョコ」

日本のバレンタインデーにつきもののチョコレートですが、大きく分けて、2つの種類があります。恋愛感情を込めて贈る「本命チョコ」と、感謝の気持ちで配る「義理チョコ」です。

「本命チョコ」と言うほどなので、手も暇もお金も一番かけて用意します。丹精込めて手作りしたり、または高級ブランドチョコを買うなどして、特別であることを相手に伝えるのです。

一方、「義理チョコ」とは好意を持っていない男性に配るチョコレートのことを言います。

「本命チョコ」は限定した男性へ贈るのとは対照的に、「義理チョコ」とはクラスメイトや職場など、日ごろ一緒にいる男性に感謝の気持ちを込めて贈りましょうと広がったのですが、これもチョコレート業界の販促戦略の一つですね。

特に会社などでは、女子社員がお金を出し合って、全男子社員分のチョコをまとめて大量買いするなど、一つの社会現象になったこともありました。義理チョコだからこそ、気軽に誰にでもチョコをあげられる、誰でももらえる、喜ばしい事のように普及したはずですが、同時に義理チョコだからこそ、女性は周りの男性にあげなくてはいけないという状況に発展しました。こうなってしまうと、義務的な感情でチョコレートをあげるのも、もらうのも嬉しくないという反響も出てくる始末。結果、バレンタインデーにチョコを配布するのを廃止する職場も出てきたほどです。

実はこれ、私の主人の職場のことです。10年ほど前はきちんと包装されたチョコレートを持ち帰ってきていましたが、最近はドリンクコーナーに個包装されたチョコが用意されるようになったとか。とはいっても、常に飴やおせんべいなどのおやつが常備されていて、全て毎月徴収される雑費代で賄われているのですが、夫曰く、バレンタインのパッケージになっているだけで気持ちが違うそうです。

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次回も引き続き、日本のバレンタインデー事情について。
「お返しは1ヶ月後のホワイトデーに、予算は1.5~3倍で!?」
「友チョコとMYチョコ」

マレーシアレポート ~マレー式結婚披露宴~

一生のうちの大イベント、結婚。所変わればウェディングスタイルもいろいろです。先日私は初めてマレー系の結婚披露宴に出席しました。この貴重な結婚式のお呼ばれですが、在住邦人の中では珍しい体験というわけでもありません。というのは、マレー系のパーティー、クンドゥリ(kenduri)には、それほど親しくなくても気楽に招待を受けるからです。知らない人の結婚式に行く人も多くいる程で、村になればなるほど、大勢に食事が供されるといいます。日本のように最初から最後まで出席しなければいけないというスタイルではなく、都合の良い時に来て、食事をいただいて帰っていくという、とても気楽なスタイルです。
ホストは近所の人たちに協力してもらってご馳走を用意し、家に招くのが主流でしたが、特に都会では、ケータリングサービスを利用したり、会場を借りて行うスタイルが増えてきたようです。


チキン、ビーフの煮込みなどビュッフェ形式の食事。デザートはパイ生地にカレーを挟んだカリーパフと、見た目はういろうによく似た、お米とココナッツミルクで作るニョニャクエ。

待ちに待った新郎新婦の登場は開場から1時間半程経った頃。その前から皆ビュッフェ形式の食事を食べ始め、主役に会わずに帰る人さえいます。日取りのよい日には3,4件のウェディングが重なることも珍しくないようで、皆さっさと食事をして帰っていきます。
日本人にとってはとても違和感ある光景。しかし、「クンドゥリ」とは元々、貧しい人々や孤児にご馳走することを意味し、それが現代では親戚や友人などにご馳走する、パーティーの意味にまで広がっていったということですから、それを知れば、食事だけいただいて帰るという行動も全く失礼には当たらないと理解できそうな気がします。とはいえ、私達は席を立つタイミングがどうしてもつかめず、食事が終わっても最後まで長居してしまいましたが。


晴れの日には夫婦お揃いの色で合わせるのがマレー流。

日本の披露宴では、乾杯から始まり式次第に従って、食事をしながら時間も最後まで共有しますよね。当たり前のように感じていたこのスタイルですが、これはもしかして「酒宴」のスタイルなのかもしれません。マレー系の人達はお酒を飲みません。だから乾杯(スタート)がなく、各々好きな時に食べ始め、お酒がないからすぐに食事を終えて帰る、というのが自然な形で定着したのではないでしょうか。
昔から日本の宴にお酒は欠かせません。お酒を酌み交わすことで緊張を和らげ、会話が盛り上がり、美味しい食事が際立ち、楽しい時間を共有することができる。お酒は日本の文化であり、食のシーンから切っても切り離せないものです。
しかし所変われば世界にはお酒を飲まない文化もあり、現在、ムスリム(イスラム教徒)は増え続け、世界人口の4人に1人はムスリムだといいます。お酒好きの私としては、将来、お酒を飲む人口が縮小し、肩身が狭くなってしまったら嫌だなあと、少々危機感を感じてしまった、初マレー式結婚披露宴でした。


引き出物のケーキ。昔は子孫繁栄を意味するゆで卵が定番だったが、最近は多様化している

Reported by 菅原研究所 和田麻紀子

ニッポンのお葬式 ②

さて、今度は実際の葬儀についてお話しましょう。

葬儀費用の国際比較
前回のブログで触れた通り、日本人はその大半が故人の供養は仏式で行います。いわゆるお葬式、つまり通夜と告別式については、いくつかのパターンがありますが、一般的には故人の遺族の誰かが施主となり、親戚、友人、知人、近所の人々の参列を招いて執り行います。こうしたお葬式は結婚式と同様、人生の大イベントです。ですから、高額の費用がかかります。お葬式の費用は全国平均で200万円前後、結婚式は250万円前後とのこと。Wikipediaによれば、日本の葬儀費用はおよそ231万円で、米国では44万4千円、イギリスでは12万3千円とのことです。日本人の大半は、老後資金として自分の葬儀費用を念頭においてお金を貯めています。

もっとも、近年ではお葬式もこれまでの慣習にとらわれることなく、身内だけで葬儀を執り行う家族葬という形を取る人が増えているようです。夫やわたしはこの考え方に賛成で、派手なお葬式は要らないと思っています。

一方、義父が亡くなった時、義母は喪主として、イベント形式の葬儀をやりたいと言いました。義父は寡黙な人でにぎやかなのは好きではなかったのですが、義母は祭壇の前に父が趣味で書いていた油絵をたくさん飾って、皆に見てもらいたいと。義母にとっては、近所の人に「いいお葬式だったわね」と思われることが重要だったのです。ところが、義母は選んだり決めたりということができない性格。おかげで、長男の夫とその嫁であるわたしたちは義母に代わってあれやこれやと大忙しでした。やれやれ。

日本では家族が亡くなった途端、まず葬儀社を手配します。葬儀社は、遺体の処理はもちろん、葬儀場や僧侶の手配、祭壇の設営、親戚や弔問客の応対、ふるまい料理や香典返しの手配、火葬場への移動などを一手に引き受けます。日本の葬儀ビジネス、市場規模はなんと2兆円に手が届くのだとか。葬儀を開催する遺族、特に喪主は亡くなった人と最も近い関係にあるため、悲しみやら不安やらで葬儀の段取りどころではありません。ですから、葬儀の司会進行と弔問客の誘導を上手に行ってくれる葬儀社は、なくてはならない存在です。多くの場合、亡くなってからお葬式が済むまでの間のサービスを一貫して行うパッケージ料金になっており、葬儀が終わった数日後に巨額の請求書が届きます。

地獄の沙汰も金次第というのは本当?
葬儀社は、葬儀のときにお経をあげてくれる僧侶や、会場となる寺院や墓地とも関係を築いており、僧侶へのお布施の金額、僧侶が授けてくれる戒名の料金まで決めてくれます。戒名にはいくつかのランクがあって、金額もそれによって変わってきます。現代に生きる者としては、そのあたりの流れを見ていると、正直疑問を感じてしまいます。死後のステータスがお金で買えてしまう。しかも実際には、死後の世界の待遇には何の保証もないのに……。

こうしたイベント的な葬儀や戒名のシステムなどに疑問を抱くのはわたしだけではないようです。実際、葬儀費用が高すぎるという声は増えていて、近頃では格安料金でサービスを提供する葬儀社も出てきました。あるとき、「料金は98,000円から」という葬儀社の広告がビルに張り出されているのを目にしました。さっそくネットで調べてみましたが、その98,000円という料金はあくまで最低料金で、諸費用を加算すると、結局は最低でも30万、50万はかかることになっていました。

自分の最後はどうなりたいか?最近では、自分の葬儀や墓などの準備をすることを終活と呼び、頭も体も元気なうちに人生の終わり方を決めておくことがトレンドとなっています。今回の一件で、終活はやっておかねばならないと、つくづく思いました。自分の信条に合った人生の終わり方を考え、遺言を書き留めておくことは、自分のためにも、なにより家族のために必要なことだと考えます。また、できれば家族にも終わり方の希望を、書面なり口述なりで残してもらいたいものです。見送る人が困らないように。

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり

ニッポンのお葬式 ①

先月の半ば、義父が亡くなりました。家族がいなくなるのは寂しいことですが、同時に、葬儀にかかわる一連の出来事を経験したことは、日本の生活習慣について考えるいい機会となりました。

日本の文化の中で不可思議なものの一つが葬儀の習慣。長年日本人をやっているわたしがそう思うのだから、外国人の目にはさぞかしミステリアスなものとして映るのではないかと。もちろん、世界各国それぞれ文化の違いはあるでしょうけど、欧米の習慣に比べると、日本のお葬式はかなりユニークだと思います。

お祝い事は神社、法事はお寺
日本では、子供が生まれると、地元の神社でお宮参り。結婚も、近年までほとんどが神前式。商売繁盛をご祈祷してもらうのも神社。なのに、死んでしまうと、お寺からお坊さんが来てお経を上げ、戒名という、仏になるための名前をもらって、墓地に葬られます。子供の頃は神社とお寺の違いもよくわからなかったし、手を叩くのは神社、手を合わせるのはお寺。そういうものだと思ってきましたが、なんで祝い事は神社で、葬儀や法事はお寺なのだろうと、いまさらながら不思議に思います。

あまりに不思議なので調べてみると、こういうことらしいのです。日本人は元々、八百万の神、つまり自然そのものを神として崇めてきました。それが後の神道につながるわけですが、神道の概念において、死や病などは穢れ(けがれ)、忌むべきものでした。穢れとは気枯れ、つまり生命力が枯れてしまうことを意味し、人がそうした状態に陥ると、罪を犯すと考えられていました。だから、穢れた状態にある者は隔離され、お祓いを行って収めてきました。一方、仏教が伝来すると、死に対する考え方に革命が起こります。仏教では人は絶えず何かに生まれ変わるものと考えられており、死はそのサイクルの一つであって、穢れとはみなさない。しかも、日本が受け入れた仏教の考え方では、人は死んだら誰でも仏になり、極楽浄土に行けるという。

日本では、不思議にもこの相容れない考え方を持つ神道と仏教が融合し、いまに至っています。しかし、穢れの概念はわたしたちの文化習慣のなかに根強く残ったがために、お祝い事は神道、けれども、穢れとされる死については仏教で取り扱うという関係が生まれたようです。もちろん、これはあくまで一般論で、日本人でも敬虔な神道、仏教、キリスト教を信仰している人はその宗教の教えに従って冠婚葬祭を執り行っています。

アバウトな国民性
そんなわけで、日本人の大半は仏式でお葬式を行うわけです。本来仏教の教えでは、忌中の期間(およそ50日)は、祝い事をせず、肉や魚は食べず精進料理で過ごすこととされているのですが、お通夜の後の席ではお寿司やてんぷらなどのごちそうが出てきます。ごちそうは参列者をもてなすためというのが近年の解釈のようです。また、葬儀の参列者は帰り際に必ずお清めの塩が配られ、帰宅後は必ず玄関前でその塩を体に振り掛けます。が、そもそも塩は神道で穢れを祓うために使うもの。本来仏式では死は穢れとみなさないので、塩で清める必要はない、という意見もあるそうです。

お祝いは神社、法事はお寺という考え方。また、葬儀の細かい部分では神道だか仏教だか境目がよくわからない習慣があったり、忌中にもかかわらず遺族も精進料理どころか、お肉やお魚を食べちゃったり。その時代時代で都合の良い解釈がなされ、それを誰もが違和感なく受け入れている。日本人はきっちりしているようで、アバウトな民族なのかも。しかし、別の見方をすれば、日本人は、お祝い事もお弔いもバランスよく行うことに価値を置いているのだと思います。

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり

立春の雪

2月4日(火)は立春。暦上では春の始まり。
週末は初夏を思わせるほど、気温が上がりましたが、
週明けは一転、日本列島は寒波に覆われ、広い範囲で雪が降りました。
本格的な春はまだ少し先のようです。


東京駅前にも雪が降りしきり足早に歩く通行人の姿が見られた
=東京都千代田区で2014年2月4日午後5時5分、梅村直承撮影


季節が逆戻りしたかのように、雪が積もった梅の花
=水戸市の偕楽園で2014年2月4日午後5時16分、土江洋範撮影

写真:毎日新聞より抜粋 http://mainichi.jp/graph/2014/02/04/20140204k0000e040240000c/001.html