過去に戻って、真新しいスタートを切ることは
誰にもできないけど、
今から、真新しいエンディングを始めることは
誰にでもできる。
月別アーカイブ: 2013年3月
沖縄の野菜紹介 ②島にんじん
前回に引き続き、沖縄の野菜のご紹介です。
今日ご紹介するのは「島にんじん」です。
島にんじんは、東洋系の品種で、黄色く、30~40センチ程の細長い形をしています。見かけとは裏腹に、沖縄の方言で「チデーグニ」=「黄色い大根」と呼ばれています。昔は日本全国で栽培されていたようですが、現在では沖縄でのみ作られています。
一般的に見られるオレンジの人参と比べて、甘味があり、柔らかく、香りが強いです。眼精疲労に効くというビタミンAを多く含んでおり、植物性の油で調理すると一層吸収率が良くなります。体を温める効果があるというカロテンも豊富なため、寒い時期には積極的に食べたい食材でしょう。他にもカルシウムや鉄分、抗酸化作用のあるリコピンも他のニンジンより多く含んでいます。
その栄養価から、沖縄では古くから薬膳料理として親しまれています。特に豚肉や他の野菜と煮込んだ、具だくさん汁物には欠かせない食材です。他にも、揚げ物や炒め物にも向いています。
島にんじんの旬は11月~4月です。それ以外の時期には、ほとんど出回らないので、スーパーで見つけたら、迷わず食べて欲しい食材です。
作・菅原研究所 田中友美
醍醐味ってどんな味?-日本最古の乳製品
「旅行の醍醐味は、思いがけず興味深いものに出会う瞬間にある」
わたしたちは、「物事の一番いいところ」を表現するとき、「醍醐味」という言葉をよく使います。でも、そもそも醍醐味ってどんな味なのでしょう?
語源を調べてみると、醍醐味とは、仏教の経典に書かれていた言葉でした。
曰く、経典の中でも涅槃経が釈迦による最高の教えを説くものであり、それは喩えてみれば、乳製品を加工する5つの過程(五味)の中で最高の「醍醐」に相当するとのことです。
涅槃経によれば、五味とは以下の過程をたどります。
乳→酪→生酥→熟酥→醍醐
よって醍醐味とは、仏教の最高の教えに匹敵する最高の味、もっとも完成度の高い乳製品ということになります。
仏教に乳製品?しかも、仏教がインドから中国、朝鮮半島を経て日本にやって来た時代に、乳製品があったとは!そして醍醐とは、バター、それともチーズ?
日本に仏教が伝来したのは今から1,500年も昔の話です。ところが、日本に乳製品が本格的に普及したのは第二次世界大戦後のことで、それまでの間、日本では一般人がミルクやチーズを食べることはなかったはず。だとすれば、醍醐は日本最古のチーズかもしれません。
ところで、チーズとはいつ、どうやって作られたのでしょうか?
チーズとは、乳を何らかの方法で凝固させ、水分を排出して固めたものですが、その起源については諸説あり、正確な起源はわかりませんが、今から5、6千年前の大昔からあったとされています。
チーズは乳製品の中でも、原料や製法の違いにより実に多くの種類があります。
パンやワインと同様、チーズも偶然の産物ですが、チーズの加工方法は大きく分けて3つあります。それらは、1)レンネットという酵素で固める方法、2)酢などの酸を加えて固める方法、3)加熱して煮詰める方法です。
わたしたちが今日食べているチーズは欧米型のチーズで、そのほとんどが1)の酵素凝乳法によるものです。
さて、醍醐はどのようにして作られたのでしょうか?
涅槃経によれば、醍醐は最上の味、しかも諸病を除くとあります。飛鳥時代になると、仏教とともに乳文化も日本に伝わり、醍醐の手前の酥(のちに蘇)については、天皇への貢物として、延喜式などの文書にその製法や献納の記録が残っているそうです。蘇は天皇や貴族だけが口にすることのできた、栄養満点の極めて貴重な加工食品だったのです。
蘇の作り方は、上述の3)の方法、牛の乳を煮詰めて水分をなくし、熟成させ固めたもの。これがおそらく日本最古の乳製品で、醍醐は日本で作られなかったようです。結局、醍醐味はまぼろしの味でした。また、日本において乳製品を食べる文化は貴族社会の終わりとともにすたれてしまいます。
そんなわけで、醍醐味の味を知ることはできませんでしたが、その手前の蘇の味は知ることができます!飛鳥時代の都に近い、香久山の南麓にある牧場が古代の蘇の製造に成功、「飛鳥の蘇」として販売しています。牛乳だけで作られた、添加物を含まない自然食品です。
さっそくネット通販で取り寄せてみました。茶色くて表面が固く、見るからに古代のチーズ。味はほんのり甘くてコクがあり、確かにチーズの味わいです。1,300年前の飛鳥時代には、ほんの一握りの高貴な人たちしか口にできなかった味。醍醐味の語源をきっかけに、古代のザ・ベスト―日本最古の乳製品の味に触れることができました。
「飛鳥の蘇」みるく工房飛鳥サイト: http://www.asukamilk.com/so/index.html
Reported by 菅原研究所 青池ゆかり
マレーシア料理って何?
アジアの料理は日本人の口にとってもよく合いますね。 中華料理はもちろんのこと、韓国料理にタイ料理、ベトナム料理に台湾料理。想像するだけでお腹がすいてきてしまいます。でもマレーシア料理って、日本ではあまり聞きませんね。まだ学生の頃、池袋にあるマレーチャン(http://www.malaychan-satu.jp/)というお店に行ったことがあります。マレーシアについて何も知らない当時の私にとって、そのメニューはあまりにも馴染みがないレアなもの過ぎて、無難なナシゴレンぐらいしか試せなかった記憶があります。 その茶系の多い色合いからなのか、煮魚のイメージか、はたまたHALAL(ハラル)というイスラム教徒向きの食事のためか、日本人は少し躊躇してしまうこのマレー料理。でも試してみると案外口に合っておいしいんですよ。
マレーシアはおいしいもの天国です。「タイ料理」のような世界に通じる看板料理はないけれど、各民族の生活習慣と文化が尊重される多民族国家とあって、様々な料理が食べられるのがマレーシアの魅力です。
そもそもマレーシア料理ってなんでしょう。大別するとマレー系、中華系、インド系、ニョニャ料理の4つの料理があります。中華系、インド系といっても、本国の料理を起点にマレーシアで発展を遂げた独自の料理です。ニョニャ料理とは、その昔海峡植民地だったマラッカ、ペナン、シンガポール発祥のマレーと中華が融合した料理で、マレーでは使われない豚肉も使われます。
この4つのマレーシア料理の他にも、本国の味を再現した各国料理店がとても充実しています。日本食ももちろん楽しめます。クアラルンプールでは、名門らーめん屋も複数あり、最近はすき家も登場。毎週はしごをしてしまう私です。
ちょっと寄り道ですが、日本を訪れるマレーシア人が増えているそうです。マレー系イスラム教徒の場合、困るのは食事です。日本で彼らに重宝されているチェーン店があるようですが、どのチェーン店かわかりますか? 答えは「天丼てんや」です。 イスラム教徒に禁じられているのは豚肉とアルコールです。鶏肉や牛肉は食べてよいのですが、これも加工や調理の過程で一定の作法を守ってハラル処理されたものでなければなりません。マレーシアであれば「すき家」で牛丼を食べることができても、日本ではハラル処理された牛肉ではないので食べられないのです。天丼なら野菜か魚なので、安心して食べられるというわけです。
さて、マレーシアのスーパーでは、豚肉やアルコールなどノンハラル食品は別コーナーに配置されてあり、レジも別です。並んでいる豚肉のクオリティはというと・・・ちょっと残念。
そんな中、クアラルンプール在住の日本人なら知らない人はいないという豚肉屋さんが、庶民の台所、胃袋でもある市場、KDDIマーケットにあります。KDDIマーケットは地元の人々でいつもにぎわっています。
日本人に人気のその店は、他の店とは隔離された駐車場の横にあります。
人気の秘密は、新鮮、安価、おいしいことに加え、一番のポイントはしゃぶしゃぶ、豚バラ、豚の角煮用など、日本人にあったスライスをしてくれるから。マレーシアンチャイニーズと日本人でいつも混み合っています。
野菜、果物、魚、肉などあらゆるものが新鮮で安く買える市場。たくさんある魚屋さんの中にも日本人に人気の店があります。人気の秘訣は魚の名前のいくつかを日本語で言ってくれて、三枚おろしにしてくれるからでしょう。 「えっ、それだけで?」 と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。 見落としがちなビジネスのヒントがここにある気がしませんか?
Reported by 菅原研究所 和田麻紀子
日本の皇室、日本全体の守り神、伊勢神宮 ③
日本最初の庶民による団体旅行、お伊勢参り
伊勢神宮は、天皇制から武家社会に移ってからも最高神として崇拝されてきました。が、中世に入り、戦乱の世になると、式年遷宮の大祭はしばらくの間中断されてしまいました。戦乱の影響で神宮の領地は荒らされ、経済的にも苦しい時代を経ることになります。
そこで立ち上がったのが、神宮で祭祀を取り仕切っていた祭司たち、御師(おんし)です。彼らは農民などの一般市民に伊勢神宮への参拝を呼びかけるため、全国各地を回り、人々の生活に便利な暦を配布し、布教活動につとめました。 江戸時代に入ると世の中は安定し、五街道など交通網が整備され、人の移動がしやすくなりました。そこで巻き起こったのが、農民や町民による伊勢神宮への集団参拝の大流行です。人々はこの旅行のことを「お伊勢参り」と呼んでいました。
お伊勢参りはおかげ参りとも呼ばれ、巡礼というよりは観光も兼ねた参拝ツアーでした。ここでも活躍したのが御師で、彼らが暦を配っていたのがおかげ参りのきっかけでした。この時代、御師は祭司であると同時に旅行業者として大きな役割を果たしました。彼らはいわば、日本最初のツアーコンダクターでもありました。 この時代は国民の6人に1人が伊勢神宮にお参りし、その人気は「一生に一度でいいから伊勢に行きたい」と、歌にも歌われたほどでした。
人口3000万人の1/6 500 万人が民族大移動をしたことになります。これが中国だったなら、宗教がらみの反乱とみなされて処刑されていたかもしれません。当時は世界中どこでも、旅をすることは盗賊に襲わるなど命がけのことで、それゆえ護衛をつけて出かけるほどでした。この日本の自由闊達で危険のない旅が当たり前ということこそ、世界の奇跡といわれるものでしょう。しかも人間が集団で活動することは、体制を守る方からは危険な行動とされていたこの時代において、幕府のおおらかな体制維持能力は素晴らしかったとも言えます。
当時庶民は全国各地から歩いて伊勢神宮を訪れたのですが、江戸の町からは片道15日の距離でした。このような長旅、当然旅費もかかります。庶民には簡単に出せる費用ではありません。そこで、人々はコミュニティーごとに「伊勢講」と呼ばれる積立金制度を作りました。メンバーは定期的に旅行資金を出し合い、集まった資金で数名の代表者が伊勢に行くための旅費としました。代表者はくじ引きで決められ、選ばれた者はコミュニティーの名代として祈願に行くというわけです。
この構という制度は、その後も昭和の時代まで、銀行の代わりとして貧しい人々の希望を満たす道具として重宝されてきました。ここでも先にお金を得た人が高飛びして雲がくれすることなく、信頼の上に成り立つものですから、人と人との約束を守る民族性があってこその制度でした。
江戸時代には、農民や町民が旅をすることに厳しい制限が課されており、通行手形がなければ遠くに行けませんでした。ところが、伊勢神宮の参拝目的であれば、簡単に手形が発行され、通行が許されました。また、町人が親や主人に内緒で旅に出ても、お札やお土産など、商売繁盛の神様である伊勢神宮に参拝してきた証拠を持ち帰ればおとがめはなかったといいます。いい世の中でしたね。
彼らの伊勢神宮参拝ツアーは、それは楽しいものだったそうです。 御師という最強のツアコンが観光ガイドよろしく、名所を案内し、参拝の仕方を指南してくれたからです。旅行者たちは、美味しいお酒や海山のごちそうを食べ、柔らかい布団に寝て、文字通り、一生に一度の楽しい旅をすることができたのです。もちろん御師たちもずいぶん得をしたらしいですが。 江戸時代の伊勢神宮はこうして栄えていきました。
このように日本人の昔の姿はおおらかで楽しく、冒険心に満ちたものでした。女性も男性並みに旅を楽しんだことが記録に残っているので、女性の地位は明治時代よりも高かったかもしれません。また、旅をサポートすることは、その街道沿いに住む人の当たり前の行為でした。お茶やお菓子、長椅子などを用意して旅人に休憩処を提供するのは当たり前でした。現在でも旅人のためにボランティアをする人は少なくありません。「おかげさまで」という言葉通り、旅する人がいてお金が回り、経済が潤うことをみんなが知っていて、さりげなく行われていたのです。エコロジーを超えた、優しさに溢れたウィンウィンの関係を表していると思います。
現在の伊勢神宮内宮のすぐそばに、「おかげ横丁」という商店街があります。 飲食店やお土産屋さんがたくさんあり、とても楽しい場所になっています。 とくに、伊勢神宮と言えば「赤福」。この和菓子は全国的に有名ですが、本店でいただく赤福のお味は格別です。 伊勢神宮を参拝した後は、ぜひおかげ横丁に立ち寄ってみてください。
おかげ横丁ホームページ:http://www.okageyokocho.co.jp/
Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子
日本の皇室、日本全体の守り神、伊勢神宮 ②
伊勢神宮において、20年ごとに遷宮をするようになった本当の理由については不明ですが、以下の理由が考えられます: ・1300年前の建築様式を守り続けているため、柱などが老朽化しやすく長持ちしない ・毎年開催される五穀豊穣を願う神嘗祭の拡大イベントとして開催 ・建築を担う大工の世代交代と教育のため
一体こんなにお金がかかり、ビジネス効率でいえば最悪とも言える、作っては壊すというやり方を1300年の歴史で誰が考え出したのか、不思議と考えればすごく不思議です。 誰がこの費用をまかない続けてきたのでしょうか? ローマカソリックとは違い、日本の天皇は常に象徴の地位でしかなく、一部の例外(明治時代から戦前まで)を除けば自ら財を持ったことはなく、神宮を作り変える費用はありませんでした。時の権力者や大金持ちの商人がお金を出してきたのです。そして今この費用を一般市民から集めることが、かつてないほど理解されにくい時代、危うい時代になっているのです。 それは自らの国のことに関心を持たず、天皇の祖神の遷宮すら知らない人が日本人の半分を超えているからです。
遷宮が行われる伊勢神宮は今年注目のスポットです。特に夏から秋にかけて様々な儀式が開催され、大勢の参拝者が訪れることになるでしょう。 建築材として総計1万本ものヒノキが使われるため、この期間、敷地内は新しいヒノキの香りで満たされると聞きます。 日本の守り神、厳かな木の香りのする伊勢神宮に足を運んでみるのはいかがでしょうか。
1300年前からのモノづくりの継承はまさしく歴史の奇跡です。衣食住にわたり、昔ながらのテクノロジーが今日に継承されているからです。いかに昔の人がエコロジカルであったか、すべてタイムカプセルがここにあり、その秘密を後世の日本人に伝えるべく整っています。 わたしたちがそれを読み解く科学力を身につけるまで、息を潜めて待っていると言っても良いでしょう。
竹田恒泰先生は、この遷宮のために使用する山のヒノキについて、現在のように日本中探し回るのではなく、神宮の森の再生計画により、数百年後からはこの地の木で賄えるようになりつつあると話されています。嬉しさとめまいが一緒に襲ってくる感じです。それこそが式年遷宮の意義でしょう。エコロジーとは、数百年先まで責任を持って持続可能なシステムを作ることです。もちろん、20年経った方の木材のすべては神宮に縁のある全国各地の神社に有難く配られ、鳥居その他に使われるので、一切ゴミは出ないのです。 伊勢神宮の秘密はそこに魅せられた人を虜にするもので溢れていますが、その扉は深い関心を持つ人だけに開けられるのかもしれません。
竹田恒泰先生の主な著書: 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書) 『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』(PHP新書) 『ECO MIND 環境の教科書』(ベストブック)
伊勢神宮公式ホームページ:http://www.isejingu.or.jp/shosai/
Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子
日本の皇室、日本全体の守り神、伊勢神宮 ①
ある統計によると、日本人の神道および仏教の信者数の合計は総人口のおよそ2倍になるといいます。統計が間違っているから?いえいえ、この統計が示しているのは、日本人の多くは神道と仏教の両方を信じているということです。他の国の人からすれば、不思議な宗教観を持った国民でしょうね。
わたしたちは生まれると、地元の神社にお宮参りをし、お祭りでは町の神社の神輿をかつぎます。そして結婚。神社での結婚式は明治時代に始まりましたが、1990年代までは大多数のカップルが神前結婚式を行っていました。ところが死んだ後は仏になってお寺のお墓に埋められるため、先祖の供養や法事は神社でなく寺で行われます。 このシステムは、生まれたときから日々の習慣として受け継がれているので、わたしたちにはごく自然なことなのです。日本人は冠婚葬祭をはじめ、生まれてから亡くなるまでの様々な局面で神と仏、神社やお寺と深く結びついています。
日本人は特定の信仰を持つ、というよりは、自分と自分を取り巻く自然や環境、目に見えないスピリチュアルなものに畏怖の念をおぼえます。森羅万象、あらゆる事物に神が宿り、いつもわたしたちの周りに存在している。八百万の神(やおよろずのかみ)がわたしたちの神様です。 そうした感覚は、日本人が古代から農耕中心の社会を形成してきたことと関係があり、わたしたちは自然を崇めることで自らを律してきたのかもしれません。
さて、日本にはおよそ8万社の神社がありますが、中でも皇族の祖神で日本国全体の守り神、天照大御神を祀っている伊勢神宮は日本を代表する神社です。 この神社が神宮として建設されたのは今から1300年ほど前、飛鳥時代の頃のことで、その敷地の広さはおよそ5,500ヘクタール(13,600エーカー)とのことです。
何より不思議なのは、1300年間誰からも攻撃されず、燃やされず、辱めを受けることなく、常に神聖さを保ち時の権力者から守られてきた宗教施設、しかも吹けば飛ぶような、簡素な木造の小さな家のようなこの施設が歴史を超えて存在することは、歴史学者からすれば、もしくは一般外国人から見ても、奇跡としか言いようがありません。 逆に言えば、そこに伊勢神宮があり続けることを当たり前と思ってきた日本人は、世界中で起こってきた殺戮と破壊の歴史から切り離されてきた、地上の楽園に暮らす民族だったとも言えるでしょう。第二次世界大戦の悲惨さを経験したことを加味してもです。
伊勢神宮では建立当時から今なお続く一大イベントがあります。それは、20年に一度の式年遷宮です。 式年遷宮とは、20年ごとに、神宮の社殿はもちろん、宝殿、御垣(みかき)鳥居など聖域内のすべての建物を建て替え、正殿内の装束や神宝を新調して納めるという、大規模かつ重要な行事です。 今年はちょうどその開催年にあたり、2013年10月には第62回神宮式年遷宮が行われます。この一大イベントは8年も前から準備が開始されていて、費用の総額はなんと550億円!
しかも、第二次世界大戦後、我が国は国家神道の国ではなくなったので、税金で賄われているのは一部、ほとんどが一般からの寄付だというのですから余計におどろきです。慶応大学講師竹田恒泰先生は明治天皇の血を引く人ですが、全国で年間300回の無料講演会を開いてこの費用を集めるために命がけの仕事をされています。
伊勢神宮公式ホームページ:http://www.isejingu.or.jp/shosai/
Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子