University of Darma Persada ①

ダルマプルサダ大学をテレビ取材で訪れ、そこで日本語学会の学生100人以上に日本語で複雑系科学としての、予防栄養学の講義を1・5時間させていただいた。
学生は英語、日本語、中国語 韓国語などの外国語学会のほかに、工学部、海洋工学部、経済学部の4つの学科があり、私立大学としては、とてもユニークな大学でした。

ユニークなのは、1985年に大学として創建されたところから始まります。この学校が非常に親日的な色彩が濃いのは、創立者100名以上が、戦後賠償で日本に留学していた経験者が集まって、今後もインドネシア発展に不可欠な日本との関係をしっかりと築いて行くために、この大学が不可欠だと皆が判断し、そしてお金を集めたことにあります。 その時には、何と自分の家を売って寄付した人もいたというくらい情熱的にこの大学を絶対に成功させようと決意したのでした。 日本に留学した学生が感謝の気持ちで力を合わせたということも感動的ですが、 その決心をした人々の年齢が何と留学がえりの若干30歳前半だというので、一層驚かされます。それほど日本留学が刺激的だったのでしょう。

当時高度成長期に入っていた日本は、敗戦の苦痛から脱却し、人々が会社や、公務員の職種を超えてだれもが、日本の繁栄のために頑張っていた時代といってもよいかもしれません。インドネシアもその成功例に見習って、多数派にわかれて政治で争わず、大同団結して発展を目指そうというのが、帰国した、社会の先頭に立つエリートの考えだったのです。それは明治維新の時にアメリカを見てそれに憧れた、咸臨丸でアメリカに刺激を受けた侍にすごく似ているともいえるでしょう。

わたしの講演会を主催してくださったのは、現在の学長のオロアン学長ですが、この方も京都大学大学院出身で、100名の大学創建者の一人です。未だに日本とインドネシアはお互いの良きところを互いに支え合い、これからの両国の発展を協力し合うべきです。というのがモットーの、優しく、上品な笑顔の後ろに素晴らしい情熱を持っている、心から尊敬する人物です。実は私も同じ考えです。

国民の8割が親日的というインドネシアはアジアの中でも最も日本人に近い感性を持っている人たちだと言えます。 まず優しい。子供とお年寄りを大事にする。 真面目。 そしてもうひとつ、インドネシアの人々の個性はとても笑顔の素敵な楽天的な人たちだというところです。 日本人も三丁目の夕日の頃の日本人はよく笑う、ご近所の人とも挨拶や会話の弾む今のインドネシアの大衆とすごく似ているように思えてきます。