文化的な暮らし①

夫と2人暮らしの当家では、「文化的に暮らそう」というのが共通のテーマです。
文化的な暮らしといっても、定義は人それぞれ。わたしの場合は、「シンプル」、「快適」、「自由」、「洗練」、「環境に優しい」といった要素が大事かな、と思っています。

モノが溢れている日本の昨今。シンプルで環境に優しい暮らしをするのは、簡単なようで難しい。つい先日も、はっと思ったことがありました。

お昼どき、久しぶりに夫が焼きそばを作ってくれました。その焼きそばにはキャベツの芯の部分が沢山入っていました。わたしが調理するときはカットして捨ててしまう部分。キャベツの甘味が際立つ、斬新な味でした。

「芯だって食べられるのだから、捨てる理由ないじゃん」確かにその通り。だけど、母親、学校の授業、料理番組でキャベツの芯をざっくり捨てるのを見てきた主婦としては、そういう部分は捨てるのが常識と思ってきたので、夫の言葉は衝撃でした。

すると彼は、こういうマインドを持つようになったきっかけを語りました。
「数年前、禅会に通っていたのは覚えているだろう?土日を禅宗のお寺で過ごし、修行僧と同じような生活をしたんだよ」そういえば、土曜日に出かけ、日曜日にとても疲れて帰ってきたことがあったっけ。
「朝早くから座禅はもちろん、掃除などの作務(さむ)をした後、ようやく食事をいただくわけだが、食事の作法にも決まりがあってね……」

曰く、禅寺で修行する人たちの食事は、徹底して無駄がないそうです。彼らは持鉢(じはつ)という、重ねられる5つの食器と長い箸を使って食事をします。一番大きな器にご飯または粥、二番目に大きな器に味噌汁、その他はおかずと沢庵を入れます。おかずは自分の器に食べる分だけ取り、隣の人に回していくのですが、他の人がどれくらい食べるかを考えながら自分の取る量を決めます。食事は絶対に残してはならず、話すことはもちろん、音を立てることも許されません。食事も修行の一つで、食べることは命をいただくこと。そのことのみに集中するのだそうです。

そういう経験を経て、夫は食事や暮らしについての考えが一変したと言います。それにしては彼の部屋はスッキリ片付いているとは思えないけど……。とはいえ、禅宗の教えを取り入れて、当家では無駄なものは持たない、質素な暮らしを心がけています。

禅寺では、食器は洗わないのだそうです。ご飯は一粒残さず、おかずもすべて食べ、最後に器に熱湯を注ぎ、一口分残しておいた沢庵で器を拭って、熱湯と一緒に飲み干します。その後器はきれいな手ぬぐいで拭いて重ねておきます。このことを丁寧に行えば、水洗しなくても食中毒を起こすことはないそうです。これぞ、究極のエコです。

色々な理由から、禅僧のような生活は一般人の我々にはとてもできませんが、彼らの姿勢に見習うべきところは多いと思います。例えば、食事をするときは、糧となる食べ物と作ってくれる人に感謝をしつつ楽しく食べる。食器を洗うときはなるべく川を汚さないよう、油ものはペーパーで拭き取り、洗剤を少なく使うよう工夫する。ごみを捨てるときはそのお世話をしてくれる人、そしてリサイクルや焼却の手間を考えてキチンと分別する。
つまるところ、ものや人への思いやり。そうした気持ちの余裕が文化的生活を形作るのかもしれません。

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり