文化的な暮らし③

文化的な暮らしという観点で食を考える場合、美味しく楽しく食べることはもちろん、シンプルかつ環境に優しい食事をすることが理想。でもわたし、食事については時々困ることがあります。

先日、出張で米国に行きました。旅先では何度かランチやディナーの席に呼ばれましたが、出された食事の分量は到底食べ切れる量ではありませんでした。サーブする方もフォークを置くと、聞きもせずにお皿を下げていきました。無理に食べて体調を崩しても困るので下げてもらいましたが、美味しい食事を残すのは後味の悪いものです。ほんと、米国は世界一の消費大国だし……。

しかし、世界で一番食べ物を捨てている国はわが国日本です。いまや有名な話ですね。農林水産省の最近の統計によれば、日本では年間およそ1,800万トンもの食品が廃棄されており、そのうちおよそ1,000万トンが一般家庭から、800万トンが食品関連業者から出ているとのことです。片や飢餓に苦しんでいる国もあるのに。これは大変ゆゆしい話で、自分もこの廃棄量に一役買っているとすれば、ますます罪悪感が増すというものです。

なるべく残さず食事をしたいという気持ちを持ちつつも、わたしは小食なので、一人で外食するときは食べ切れる食事を探すのに一苦労。定食をペロリと平らげられる人がうらやましい。小食の悩みをわかってくれる人は案外と少ないものです。

この問題を解決するにはどうしたらよいか、考えてみました。なるべく美味しく楽しく食事を残さず食べる、文化的な食生活を過ごすために。

1)一人で食べるときは自宅で食べる
2)数人で外食する際、皆で取り分けて食べる料理かバイキングを選ぶ
3)外食ならカフェやおにぎり屋さん、ご飯やおかずの量を少量にしてもらえる店に入る
4)食べ切れない分を持ち帰りさせてくれる店を選ぶ
5)運動をする、間食をしないなど、お腹をすかせてディナーに臨む

このいずれかの方法を取ることで、食事を残す心配は減りました。また、最近ではご飯の量を減らせるカレー屋さんや残したサンドイッチを持ち帰り用に包んでくれるお店が増えています。お店の側も、顧客の多様なニーズに応えることで価値を創造しているからでしょう。

食べ物を残さないよう努めることは、食材の買い過ぎやコストの削減、場合によってはダイエットや健康の改善につながるかもしれません。食事を残す心配のない方も、ぜひあなた自身の文化的な食生活、理想の食生活について考えてみてください。

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり

文化的な暮らし②

前回のブログで、禅寺の修行僧の食事について触れましたが、今回は禅宗のお寺ならではのシンプルで洗練された食事について紹介します。

禅宗は座禅を修行の基本とする仏教で、最初に日本に伝わったのは鎌倉時代。中国で学んだ僧が日本で布教を開始し、座禅の仕方の違いから、臨済宗、曹洞宗という2つの宗派ができました。江戸時代になると、中国から渡来した僧が黄檗宗という第3の宗派を開創しました。

禅宗では座禅の他、掃除や洗濯、炊事といった雑務を修行として行い、特に食事を作ることは極めて重要な修行です。調理を担当するのは、典座(てんぞ)と呼ばれる、長らく修行を積んだ徳の高い僧から選ばれた僧侶が行います。仏教では肉や魚はもちろん、にんにくやにら、ねぎといった精のつく食べ物は煩悩をもたらすため、食べてはいけないことになっています。このような規律に従い、野菜・果実・穀類・海藻を中心とした料理を臨済宗、曹洞宗では精進料理、黄檗宗では普茶料理と言います。

精進料理は曹洞宗の開祖、道元が布教と共に確立しました。特徴としては、五味五法五色。これは和食の基本でもありますが、五つの味(辛、酸、甘、苦、塩)、五つの調理法(生、煮る、焼く、揚げる、蒸す)、五つのいろどり(青、黄、赤、白、黒)を上手に組み合わせるという概念です。修行僧が食べる料理は通常食で、お粥や麦飯と1、2種類のおかずと漬物だけですが、来客や高僧をもてなす展待食はごちそう。ご飯、おかず数品と汁をお膳に載せたものです。精進料理は後の時代、茶の湯と共に客人をもてなす茶懐石に影響をもたらすものとなります。

一方、黄檗宗の普茶料理は日本に帰化した中国の僧が伝えた、中国風の精進料理です。一人分がお膳に入っているのではなく、4人で一つの卓を囲みます。上下の隔たりなく、食事そのものを楽しみ、禅宗の他の二つの宗派よりも開放的です。ごま油を多く使うのでコクがあり、特に豆腐や葛を巧みに用い、肉や魚や卵に似せた料理、擬製料理が特徴的です。見た目も精進料理とは思えないほど豪華です。

精進料理と普茶料理。いずれの料理にも共通しているのは、食材それぞれの持ち味を最大限に活かすというところです。命の源である食材を大切にするということから、どんな食べ物も無駄にせず、食べられるところは捨てずに使う。基本的にすべて手作りで、手間と工夫を惜しまない。食材と共に食べる人のことも考え、限られた食材を使い、目で見て四季を感じ、食べて美味しい食事を作っています。

昨今では、一般人向けに精進料理や普茶料理を提供するお寺が全国各地にあります。手間暇をかけながらも、シンプルで洗練された食事とはどんなものか?実際に目で見て味わってみるのも面白いですね。

臨済宗光明寺(栃木県):http://www.botandera.com/shoujin.html
真言宗高尾山薬王院(東京都):http://www.takaosan.or.jp/shojin.html#about
普茶料理 梵(東京都):http://www.fuchabon.co.jp/index.html

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり

文化的な暮らし①

夫と2人暮らしの当家では、「文化的に暮らそう」というのが共通のテーマです。
文化的な暮らしといっても、定義は人それぞれ。わたしの場合は、「シンプル」、「快適」、「自由」、「洗練」、「環境に優しい」といった要素が大事かな、と思っています。

モノが溢れている日本の昨今。シンプルで環境に優しい暮らしをするのは、簡単なようで難しい。つい先日も、はっと思ったことがありました。

お昼どき、久しぶりに夫が焼きそばを作ってくれました。その焼きそばにはキャベツの芯の部分が沢山入っていました。わたしが調理するときはカットして捨ててしまう部分。キャベツの甘味が際立つ、斬新な味でした。

「芯だって食べられるのだから、捨てる理由ないじゃん」確かにその通り。だけど、母親、学校の授業、料理番組でキャベツの芯をざっくり捨てるのを見てきた主婦としては、そういう部分は捨てるのが常識と思ってきたので、夫の言葉は衝撃でした。

すると彼は、こういうマインドを持つようになったきっかけを語りました。
「数年前、禅会に通っていたのは覚えているだろう?土日を禅宗のお寺で過ごし、修行僧と同じような生活をしたんだよ」そういえば、土曜日に出かけ、日曜日にとても疲れて帰ってきたことがあったっけ。
「朝早くから座禅はもちろん、掃除などの作務(さむ)をした後、ようやく食事をいただくわけだが、食事の作法にも決まりがあってね……」

曰く、禅寺で修行する人たちの食事は、徹底して無駄がないそうです。彼らは持鉢(じはつ)という、重ねられる5つの食器と長い箸を使って食事をします。一番大きな器にご飯または粥、二番目に大きな器に味噌汁、その他はおかずと沢庵を入れます。おかずは自分の器に食べる分だけ取り、隣の人に回していくのですが、他の人がどれくらい食べるかを考えながら自分の取る量を決めます。食事は絶対に残してはならず、話すことはもちろん、音を立てることも許されません。食事も修行の一つで、食べることは命をいただくこと。そのことのみに集中するのだそうです。

そういう経験を経て、夫は食事や暮らしについての考えが一変したと言います。それにしては彼の部屋はスッキリ片付いているとは思えないけど……。とはいえ、禅宗の教えを取り入れて、当家では無駄なものは持たない、質素な暮らしを心がけています。

禅寺では、食器は洗わないのだそうです。ご飯は一粒残さず、おかずもすべて食べ、最後に器に熱湯を注ぎ、一口分残しておいた沢庵で器を拭って、熱湯と一緒に飲み干します。その後器はきれいな手ぬぐいで拭いて重ねておきます。このことを丁寧に行えば、水洗しなくても食中毒を起こすことはないそうです。これぞ、究極のエコです。

色々な理由から、禅僧のような生活は一般人の我々にはとてもできませんが、彼らの姿勢に見習うべきところは多いと思います。例えば、食事をするときは、糧となる食べ物と作ってくれる人に感謝をしつつ楽しく食べる。食器を洗うときはなるべく川を汚さないよう、油ものはペーパーで拭き取り、洗剤を少なく使うよう工夫する。ごみを捨てるときはそのお世話をしてくれる人、そしてリサイクルや焼却の手間を考えてキチンと分別する。
つまるところ、ものや人への思いやり。そうした気持ちの余裕が文化的生活を形作るのかもしれません。

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり

ハロウィンの由来

先日、ハロウィンによく見られるジャックランタンのお話しをしましたが、
ハロウィンとは一体、どんなものなのでしょうか?

ハロウィンは古代ケルト人が起源であると古くから伝えられています。もともとは 「秋の収穫」を祝う宗教的な行事として始まりました。10月31日というのは、古代ケルト人にとって1年の終わり、つまり大晦日にあたる日で、村人が集まって大きなたき火をし、厄払いをする日でもあったようです。翌日11月1日からは冬の季節となるため、そのたき火の火を村の各家庭へ分け与え、暖炉へ灯すことで新年に向けての準備を整える意味合いもありました。

また、この夜は死者の霊が家族を訪れると信じられておりました。日本でいうお盆のようなものです。同時に、有害な精霊や魔女なども現世を彷徨うと信じられており、人間たちはそのような悪霊から自らの身を守るために仮面を被り、仮装をして、人間だと悟られないようにしたそうです。

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現在では、昔の宗教的な意味合いはほとんどなくなりましたが、10月31日には家にジャックランタンを飾って、子どもたちが魔女やお化けに変装して、近所の家々を周り、お菓子をもらいにいく行事、『トリック・オア・トリート』が一般的です。

『トリック・オア・トリート』とは、「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ。」という意味ですが、これも昔、彷徨っていた悪霊たちを鎮めるために、お供え物を与え、翌年も豊作になるよう祈願したという行いの名残ではないかと言われています。

ハロウィンは、主にアイルランド、イギリス、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどで行われていましたが、ここ数年のうちに、ハロウィンは日本でも定着してきました。

ハロウィンやクリスマスなど、本来なら宗教的な由来のある欧米文化ですが、日本人にとっては、由来は重要ではなく、単に年間行事のひとつとして外国文化を楽しんでいる傾向があります。その風潮にのり、ハロウィンイベントが各地で催されたり、この時期だけの限定として、多くの商品がハロウィンパッケージになったり、ハロウィンを連想させるオレンジや黒で彩られたカボチャやおばけなどのキャラクターが市場に多く出回っています。このようなマーケティング手法も相まって、ハロウィンは多くの日本人に周知されています。


川崎駅周辺のハロウィンパレードの様子
[AFP BBNewsより転載 http://www.afpbb.com/articles/-/3002219 ]