マレーシア料理って何?

アジアの料理は日本人の口にとってもよく合いますね。 中華料理はもちろんのこと、韓国料理にタイ料理、ベトナム料理に台湾料理。想像するだけでお腹がすいてきてしまいます。でもマレーシア料理って、日本ではあまり聞きませんね。まだ学生の頃、池袋にあるマレーチャン(http://www.malaychan-satu.jp/)というお店に行ったことがあります。マレーシアについて何も知らない当時の私にとって、そのメニューはあまりにも馴染みがないレアなもの過ぎて、無難なナシゴレンぐらいしか試せなかった記憶があります。  その茶系の多い色合いからなのか、煮魚のイメージか、はたまたHALAL(ハラル)というイスラム教徒向きの食事のためか、日本人は少し躊躇してしまうこのマレー料理。でも試してみると案外口に合っておいしいんですよ。

マレーシアはおいしいもの天国です。「タイ料理」のような世界に通じる看板料理はないけれど、各民族の生活習慣と文化が尊重される多民族国家とあって、様々な料理が食べられるのがマレーシアの魅力です。

そもそもマレーシア料理ってなんでしょう。大別するとマレー系、中華系、インド系、ニョニャ料理の4つの料理があります。中華系、インド系といっても、本国の料理を起点にマレーシアで発展を遂げた独自の料理です。ニョニャ料理とは、その昔海峡植民地だったマラッカ、ペナン、シンガポール発祥のマレーと中華が融合した料理で、マレーでは使われない豚肉も使われます。

この4つのマレーシア料理の他にも、本国の味を再現した各国料理店がとても充実しています。日本食ももちろん楽しめます。クアラルンプールでは、名門らーめん屋も複数あり、最近はすき家も登場。毎週はしごをしてしまう私です。

ちょっと寄り道ですが、日本を訪れるマレーシア人が増えているそうです。マレー系イスラム教徒の場合、困るのは食事です。日本で彼らに重宝されているチェーン店があるようですが、どのチェーン店かわかりますか? 答えは「天丼てんや」です。 イスラム教徒に禁じられているのは豚肉とアルコールです。鶏肉や牛肉は食べてよいのですが、これも加工や調理の過程で一定の作法を守ってハラル処理されたものでなければなりません。マレーシアであれば「すき家」で牛丼を食べることができても、日本ではハラル処理された牛肉ではないので食べられないのです。天丼なら野菜か魚なので、安心して食べられるというわけです。

さて、マレーシアのスーパーでは、豚肉やアルコールなどノンハラル食品は別コーナーに配置されてあり、レジも別です。並んでいる豚肉のクオリティはというと・・・ちょっと残念。

そんな中、クアラルンプール在住の日本人なら知らない人はいないという豚肉屋さんが、庶民の台所、胃袋でもある市場、KDDIマーケットにあります。KDDIマーケットは地元の人々でいつもにぎわっています。

日本人に人気のその店は、他の店とは隔離された駐車場の横にあります。

人気の秘密は、新鮮、安価、おいしいことに加え、一番のポイントはしゃぶしゃぶ、豚バラ、豚の角煮用など、日本人にあったスライスをしてくれるから。マレーシアンチャイニーズと日本人でいつも混み合っています。

野菜、果物、魚、肉などあらゆるものが新鮮で安く買える市場。たくさんある魚屋さんの中にも日本人に人気の店があります。人気の秘訣は魚の名前のいくつかを日本語で言ってくれて、三枚おろしにしてくれるからでしょう。 「えっ、それだけで?」 と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。 見落としがちなビジネスのヒントがここにある気がしませんか?

Reported by 菅原研究所 和田麻紀子

日本の皇室、日本全体の守り神、伊勢神宮 ③

日本最初の庶民による団体旅行、お伊勢参り

伊勢神宮は、天皇制から武家社会に移ってからも最高神として崇拝されてきました。が、中世に入り、戦乱の世になると、式年遷宮の大祭はしばらくの間中断されてしまいました。戦乱の影響で神宮の領地は荒らされ、経済的にも苦しい時代を経ることになります。

そこで立ち上がったのが、神宮で祭祀を取り仕切っていた祭司たち、御師(おんし)です。彼らは農民などの一般市民に伊勢神宮への参拝を呼びかけるため、全国各地を回り、人々の生活に便利な暦を配布し、布教活動につとめました。 江戸時代に入ると世の中は安定し、五街道など交通網が整備され、人の移動がしやすくなりました。そこで巻き起こったのが、農民や町民による伊勢神宮への集団参拝の大流行です。人々はこの旅行のことを「お伊勢参り」と呼んでいました。

お伊勢参りはおかげ参りとも呼ばれ、巡礼というよりは観光も兼ねた参拝ツアーでした。ここでも活躍したのが御師で、彼らが暦を配っていたのがおかげ参りのきっかけでした。この時代、御師は祭司であると同時に旅行業者として大きな役割を果たしました。彼らはいわば、日本最初のツアーコンダクターでもありました。 この時代は国民の6人に1人が伊勢神宮にお参りし、その人気は「一生に一度でいいから伊勢に行きたい」と、歌にも歌われたほどでした。

人口3000万人の1/6  500 万人が民族大移動をしたことになります。これが中国だったなら、宗教がらみの反乱とみなされて処刑されていたかもしれません。当時は世界中どこでも、旅をすることは盗賊に襲わるなど命がけのことで、それゆえ護衛をつけて出かけるほどでした。この日本の自由闊達で危険のない旅が当たり前ということこそ、世界の奇跡といわれるものでしょう。しかも人間が集団で活動することは、体制を守る方からは危険な行動とされていたこの時代において、幕府のおおらかな体制維持能力は素晴らしかったとも言えます。

当時庶民は全国各地から歩いて伊勢神宮を訪れたのですが、江戸の町からは片道15日の距離でした。このような長旅、当然旅費もかかります。庶民には簡単に出せる費用ではありません。そこで、人々はコミュニティーごとに「伊勢講」と呼ばれる積立金制度を作りました。メンバーは定期的に旅行資金を出し合い、集まった資金で数名の代表者が伊勢に行くための旅費としました。代表者はくじ引きで決められ、選ばれた者はコミュニティーの名代として祈願に行くというわけです。

この構という制度は、その後も昭和の時代まで、銀行の代わりとして貧しい人々の希望を満たす道具として重宝されてきました。ここでも先にお金を得た人が高飛びして雲がくれすることなく、信頼の上に成り立つものですから、人と人との約束を守る民族性があってこその制度でした。

江戸時代には、農民や町民が旅をすることに厳しい制限が課されており、通行手形がなければ遠くに行けませんでした。ところが、伊勢神宮の参拝目的であれば、簡単に手形が発行され、通行が許されました。また、町人が親や主人に内緒で旅に出ても、お札やお土産など、商売繁盛の神様である伊勢神宮に参拝してきた証拠を持ち帰ればおとがめはなかったといいます。いい世の中でしたね。

彼らの伊勢神宮参拝ツアーは、それは楽しいものだったそうです。 御師という最強のツアコンが観光ガイドよろしく、名所を案内し、参拝の仕方を指南してくれたからです。旅行者たちは、美味しいお酒や海山のごちそうを食べ、柔らかい布団に寝て、文字通り、一生に一度の楽しい旅をすることができたのです。もちろん御師たちもずいぶん得をしたらしいですが。 江戸時代の伊勢神宮はこうして栄えていきました。

このように日本人の昔の姿はおおらかで楽しく、冒険心に満ちたものでした。女性も男性並みに旅を楽しんだことが記録に残っているので、女性の地位は明治時代よりも高かったかもしれません。また、旅をサポートすることは、その街道沿いに住む人の当たり前の行為でした。お茶やお菓子、長椅子などを用意して旅人に休憩処を提供するのは当たり前でした。現在でも旅人のためにボランティアをする人は少なくありません。「おかげさまで」という言葉通り、旅する人がいてお金が回り、経済が潤うことをみんなが知っていて、さりげなく行われていたのです。エコロジーを超えた、優しさに溢れたウィンウィンの関係を表していると思います。

現在の伊勢神宮内宮のすぐそばに、「おかげ横丁」という商店街があります。 飲食店やお土産屋さんがたくさんあり、とても楽しい場所になっています。 とくに、伊勢神宮と言えば「赤福」。この和菓子は全国的に有名ですが、本店でいただく赤福のお味は格別です。 伊勢神宮を参拝した後は、ぜひおかげ横丁に立ち寄ってみてください。

おかげ横丁ホームページ:http://www.okageyokocho.co.jp/

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子

日本の皇室、日本全体の守り神、伊勢神宮 ②

伊勢神宮において、20年ごとに遷宮をするようになった本当の理由については不明ですが、以下の理由が考えられます: ・1300年前の建築様式を守り続けているため、柱などが老朽化しやすく長持ちしない ・毎年開催される五穀豊穣を願う神嘗祭の拡大イベントとして開催 ・建築を担う大工の世代交代と教育のため

一体こんなにお金がかかり、ビジネス効率でいえば最悪とも言える、作っては壊すというやり方を1300年の歴史で誰が考え出したのか、不思議と考えればすごく不思議です。  誰がこの費用をまかない続けてきたのでしょうか? ローマカソリックとは違い、日本の天皇は常に象徴の地位でしかなく、一部の例外(明治時代から戦前まで)を除けば自ら財を持ったことはなく、神宮を作り変える費用はありませんでした。時の権力者や大金持ちの商人がお金を出してきたのです。そして今この費用を一般市民から集めることが、かつてないほど理解されにくい時代、危うい時代になっているのです。 それは自らの国のことに関心を持たず、天皇の祖神の遷宮すら知らない人が日本人の半分を超えているからです。

遷宮が行われる伊勢神宮は今年注目のスポットです。特に夏から秋にかけて様々な儀式が開催され、大勢の参拝者が訪れることになるでしょう。 建築材として総計1万本ものヒノキが使われるため、この期間、敷地内は新しいヒノキの香りで満たされると聞きます。 日本の守り神、厳かな木の香りのする伊勢神宮に足を運んでみるのはいかがでしょうか。

1300年前からのモノづくりの継承はまさしく歴史の奇跡です。衣食住にわたり、昔ながらのテクノロジーが今日に継承されているからです。いかに昔の人がエコロジカルであったか、すべてタイムカプセルがここにあり、その秘密を後世の日本人に伝えるべく整っています。  わたしたちがそれを読み解く科学力を身につけるまで、息を潜めて待っていると言っても良いでしょう。

竹田恒泰先生は、この遷宮のために使用する山のヒノキについて、現在のように日本中探し回るのではなく、神宮の森の再生計画により、数百年後からはこの地の木で賄えるようになりつつあると話されています。嬉しさとめまいが一緒に襲ってくる感じです。それこそが式年遷宮の意義でしょう。エコロジーとは、数百年先まで責任を持って持続可能なシステムを作ることです。もちろん、20年経った方の木材のすべては神宮に縁のある全国各地の神社に有難く配られ、鳥居その他に使われるので、一切ゴミは出ないのです。 伊勢神宮の秘密はそこに魅せられた人を虜にするもので溢れていますが、その扉は深い関心を持つ人だけに開けられるのかもしれません。

竹田恒泰先生の主な著書: 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書) 『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』(PHP新書) 『ECO MIND 環境の教科書』(ベストブック)

伊勢神宮公式ホームページ:http://www.isejingu.or.jp/shosai/

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子

日本の皇室、日本全体の守り神、伊勢神宮 ①

ある統計によると、日本人の神道および仏教の信者数の合計は総人口のおよそ2倍になるといいます。統計が間違っているから?いえいえ、この統計が示しているのは、日本人の多くは神道と仏教の両方を信じているということです。他の国の人からすれば、不思議な宗教観を持った国民でしょうね。

わたしたちは生まれると、地元の神社にお宮参りをし、お祭りでは町の神社の神輿をかつぎます。そして結婚。神社での結婚式は明治時代に始まりましたが、1990年代までは大多数のカップルが神前結婚式を行っていました。ところが死んだ後は仏になってお寺のお墓に埋められるため、先祖の供養や法事は神社でなく寺で行われます。 このシステムは、生まれたときから日々の習慣として受け継がれているので、わたしたちにはごく自然なことなのです。日本人は冠婚葬祭をはじめ、生まれてから亡くなるまでの様々な局面で神と仏、神社やお寺と深く結びついています。

日本人は特定の信仰を持つ、というよりは、自分と自分を取り巻く自然や環境、目に見えないスピリチュアルなものに畏怖の念をおぼえます。森羅万象、あらゆる事物に神が宿り、いつもわたしたちの周りに存在している。八百万の神(やおよろずのかみ)がわたしたちの神様です。 そうした感覚は、日本人が古代から農耕中心の社会を形成してきたことと関係があり、わたしたちは自然を崇めることで自らを律してきたのかもしれません。

さて、日本にはおよそ8万社の神社がありますが、中でも皇族の祖神で日本国全体の守り神、天照大御神を祀っている伊勢神宮は日本を代表する神社です。 この神社が神宮として建設されたのは今から1300年ほど前、飛鳥時代の頃のことで、その敷地の広さはおよそ5,500ヘクタール(13,600エーカー)とのことです。

何より不思議なのは、1300年間誰からも攻撃されず、燃やされず、辱めを受けることなく、常に神聖さを保ち時の権力者から守られてきた宗教施設、しかも吹けば飛ぶような、簡素な木造の小さな家のようなこの施設が歴史を超えて存在することは、歴史学者からすれば、もしくは一般外国人から見ても、奇跡としか言いようがありません。 逆に言えば、そこに伊勢神宮があり続けることを当たり前と思ってきた日本人は、世界中で起こってきた殺戮と破壊の歴史から切り離されてきた、地上の楽園に暮らす民族だったとも言えるでしょう。第二次世界大戦の悲惨さを経験したことを加味してもです。

伊勢神宮では建立当時から今なお続く一大イベントがあります。それは、20年に一度の式年遷宮です。 式年遷宮とは、20年ごとに、神宮の社殿はもちろん、宝殿、御垣(みかき)鳥居など聖域内のすべての建物を建て替え、正殿内の装束や神宝を新調して納めるという、大規模かつ重要な行事です。 今年はちょうどその開催年にあたり、2013年10月には第62回神宮式年遷宮が行われます。この一大イベントは8年も前から準備が開始されていて、費用の総額はなんと550億円!

しかも、第二次世界大戦後、我が国は国家神道の国ではなくなったので、税金で賄われているのは一部、ほとんどが一般からの寄付だというのですから余計におどろきです。慶応大学講師竹田恒泰先生は明治天皇の血を引く人ですが、全国で年間300回の無料講演会を開いてこの費用を集めるために命がけの仕事をされています。

伊勢神宮公式ホームページ:http://www.isejingu.or.jp/shosai/

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子

沖縄の野菜紹介 ①ハンダマ

2月も下旬に差し掛かり、日差しがどんどん強くなってきた沖縄です。 徐々に沖縄らしい季節になりつつありますが、季節の変わり目なので体調管理が難しいところ。そこで、これから少しずつ、沖縄特有の野菜や食材などを紹介していきたいと思います。第一弾として今日は「ハンダマ」をご紹介します!

ハンダマは中国から九州や沖縄にもたらされ、その栄養価から昔は薬草として人々に親しまれてきました。現在でも、注目すべき健康食材の一つです。

ハンダマには鉄分やマグネシウム、ビタミンAが抱負に含まれています。葉の裏側はポリフェノールの赤紫色素アントシアニンが含まれているため、とても鮮やかな紫色をしています。そのため、ハンダマは沖縄では昔から「血の薬」と言われて、血行不良や貧血、目の疲れや腫れに効くとされています。また、抗酸化作用もあるので、アンチエイジング効果も期待できます。

ハンダマは生でも火を通しても、どちらでも食べられます。生だと、シャキシャキと食感が良く、サラダにすると色合いもいいです。レストランのサラダバーなどでもよく見かけます。一方、火を通すとヌルヌルとした食感に変わります。お浸しや炒め物、天ぷらやお味噌汁など、バラエティ豊かに使い勝手のいい食材です。

ハンダマは、春から初夏にかけて、つまりこれからが旬なので、これからスーパーでもよく見かけるようになるでしょう。見かけたら、ぜひお試し下さい。

作・菅原研究所 田中友美

お母さんのマスコット男は実はDVになりやすい!!②

エリクソンの発達社会心理学というのがあるのをご存知ですか。人間は0から2歳までは無条件ぐらいの溺愛に近いスキンシップ。その後3歳からは自立の時代で、どんな小さなことでも、洋服や、靴も本人がしっかりと選んで行くように手を出さないでいると、上の男性のようにはなりません。3歳以上でも子供を散歩に連れ歩くペットの犬みたいに、お稽古、学習塾、洋服まで母や、父親が支配すると、ロボットになり、大人になってから上にあげたサンプルのような男性になることも多いのです。

一方、華やかな親の自慢の兄妹の影で、親にも、その自己愛の兄妹にも否定的な言葉を浴びせられ続けたり、召使のような存在のように蔑まれて、愛されなかった人になりがちです。

途中から親の自慢のコースから滑り落ちた子供は、親族の集まり、パーティにも連れて行ってもらえないまま大人になってしまい、自分の素晴らしさに気がつかず、プライドが低すぎる人間になります。愛情をうけたいがために、DVを受けている相手の嘘を間に受けて、そのままずるずる相手の悪の中からしっかりと逃れることもできない人生になります。

そのような人は親を憎んでいるので、自分を破壊することで親のメンツを潰して行こうという無意識の意識で、良い職場をなげうって、わざわざ夜の仕事をするような人生を男性も女性も選んでそこから出られずにもがく人生になるケースも多いです。 映画「嫌われ松子の一生 」を見た人は、そんな人生の流れを擬似体験することもできます。   解決のためには、両親はどの子にも平等な愛情で褒めることです。 今更、と気がついた時にはもうかなり育っている子供でも、夫や妻でも愛情のシャワー、褒める、認めるそして、出来るだけ自由に、心配せずに、やりたいような道を本人が選んだら、例えその道が将来お金持ちコースから程遠く見えても、それでも応援団として、信じましょう。

信じるとは、一言。楽天的になることでしょう。絶対に私の周りはどんなに悪いように見えることも、最後はハッピーエンドで素晴らしいことしか起こらない。。だから大丈夫。  私たち日本人なら、仏壇に向かってお線香をあげて、食べ物をおき、今日一日素晴らしいことがいっぱいあったことに感謝します。と一日の終わりに感謝のいのりをあげることだってそれなりの素晴らしい効果もあるでしょう。

瞑想を30分以上すると、よく宇宙の中に溶け込むといいますが、つまりは大きく混乱した問題もそのあとでは、小学生のドリルみたいに、簡単だなあと、解決出来る自信がついてくるのです。それこそが、混乱から解放され、静かな気持ち、恐怖や不安がゼロでなくとも70パーセントは減っているのです。

本当に優秀なカウンセラーだったら、きっと素晴らしい人生のパートナーにもなるし、本当はそんな素敵な話し相手は、本来昔だったら、そこらのお爺さんや、お婆さんの仕事だったかもしれません。楽天的な正直爺さん、婆さんでなければいけませんが。

どん底まで行けば、プールの底に足をつけて身を低くして、ジャンプ!!!  そこは1番の暗闇であるけど、そこから先に明るさがみえてくるのです。水の中から上がれば、そこは明るい空まで飛び立っていけるはずです。

自分と家族に、周りにそのような自己愛肥大、プライド低すぎ、の問題人生を抱えている人は、臭いものに蓋をしないで、頑張ってくださいね。 先送り人生だと、最後に私の人生何も満たされない、不幸だった。何もない。お金はあっても幸せは買えなかった、と遅すぎる後悔になって、孤独のうちに死ぬことにもなりかねませんから。

お母さんのマスコット男は実はDVになりやすい!!①

現代は昔ではあまり見かけなかった、結婚してから、そんな酷い??男、女が溢れています。それは自己愛肥大症候群の男だったり、女だったり。その裏には意外と、親の存在があるのです。
また逆に、そんな王子や、姫扱いしている母親、父親の、おメガネにかなった人間(エリート作品)になりそこねた、日陰の兄妹は、自尊心が低すぎるので、ある時には、DVをうけやすかったり、自己愛肥大人間と結婚して、奴隷にされてしまう人生になってしまったりと、大変な時代です。

美空ひばりは姫だとしたら、そばでつききりの母親は、妻と夫の関係は冷めていて、娘の天才性にすべての愛情を注ぎ込んだ最高のマネージャーでプロデューサーの母親でありつつ、一方で、日陰の兄弟をどうしても愛情不足も含めてつくってしまったかもしれません。

でもこの自尊心の低い女性でも、マジギレすると、寝ている間に夫を殺害などと、今までの過去の恨みが一瞬で吹き出して、事件を起こすことにつながることだってあるので、私たちは、ただ、猟奇事件だ!!とワイドショーで垂れ流されるニュースのふりをした、娯楽をもっと深く、なぜその人はそうなったのか???しっかりと、社会心理学的に理解する必要もあるでしょう。

そうならないために。そういう子に自分の大事な子供をしないために。 そして、自分の中にある、自己愛肥大(ナルシズム肥大)をきちんと良い方向に昇格していくためにも。あるいは、逆の、才能も美しさもあるのに、DVの男や女と恋愛してしまう。 結婚してしまわないために。あるいは結婚しても引き返す、声を出してNOと言える人になるために。

やはり終わり良ければすべて良しの人生観のたくましさが、必要です。パートナーと苦労はあっても、それ以上に幸せと大きな実りのある人生だったと、振り返れるように生きるために。

私の近くにも、そんな人々をみいだすことができます。先日離婚を決意した女性は夫が結婚するまでと、結婚したあとで、180度変身。スポーツマンで、ガタイが大きく、そのセクシーさに惹かれ、自分の出産適齢期35歳でゴールイン・・・のはずが、男性は母親になんでも相談しないと気が済まない。ちょっと気に入らないと、マジギレ、テメー!!ウルセー。 など朝飯前。離婚でもお金のことでは嘘をいっぱいつかれて、弁護士に代行してもらうまで、そのひどいシャウトはかわらないので、ついに電話テープをとったとかです。相手の男性は何と学校では1番物分りの良い、人気の先生なのです。 彼の父の姿は霞んでいて、どこにも存在してないみたいです。

東京スカイツリーは、江戸時代にルーツを持つお土産が買える、21世紀の日本で一番イケてるタワーです。②

下町に育った人の思い出のひとつは、子供の頃食べた駄菓子。
飴、おこし、あられ、かりんとうなど、200年、300年もの昔からあるお菓子が多く、アメリカ人には驚きでしょう。フランス、オーストリアなどには歴史ある素晴らしいお菓子が多いですが、それらは貴族や王様だけに限られていたお菓子ですね。下町のお菓子は江戸時代からすでに一般の人が小銭を出して買っていたものが多いのが特色です。

昔ながらの日本のお菓子を探ってみませんか。
2階の「二木の菓子」はお菓子の問屋さん。昔懐かしい駄菓子がたくさんあります。

また、下町の職人たちは細かい仕事が得意です。
東京スカイツリータウン周辺は、かつて 第二次世界大戦前まではガラス製品を作る小さな工場町として栄えていました。ガラス産業は今でもこの土地の地場産業として残っています。

中でも江戸切子と呼ばれる繊細な細工が施されたグラスは美しく、おみやげにぴったり。
1階の「はせがわ酒店」店内にはお酒と一緒に繊細な江戸切子のグラスが展示販売されています。 美味しいお酒と一緒にグラスもいかがでしょうか。
江戸切子ガラスは、同じく1階の「私の部屋」というお店でも取り扱っています。

昔ながらのものと新しいもの。どちらもスタイリッシュにディスプレイされており、 眺めるだけでも楽しい時間をすごすことができます。
新しくなった下町に、ぜひ足を運んでみてください。

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子

東京スカイツリーは、江戸時代にルーツを持つお土産が買える、21世紀の日本で一番イケてるタワーです。①

2012年 5月のオープン以来、東京の新たな観光名所となった東京スカイツリータウン。日本人が今もっとも行きたい場所です。

東京スカイツリータウンは、高さ634mの電波塔、東京スカイツリーと商業施設およびオフィスで構成されています。このタワーは、これまで電波塔として機能してきた東京タワーよりも高いタワーが必要とされたために建てられたもので、東京タワーがパリのエッフェル塔に似た形をしている一方、こちらの塔はよりスレンダーで無駄のない形をしています。また、ライトアップも東京タワーのようにPOPな色ではなく、特殊な青や紫など、日本人からみると優雅な色づかいをしています。

コンセプトは、「ライジング・イースト」下町地域の再生と新しい街づくりを掲げています。
今日本ではなぜか、エコロジーが世界一進んでいた江戸時代(1600~1868年)がとても人気になりつつあります。江戸時代の半ば、江戸は世界一の人口100万人の都市でありながら、犯罪も世界一少なく、たった30人の役人が警察として働いていたと言いますが、本当?と思ってしまいますね。そしてそのころの、人びとの優しさ、活力、生活ぶりや江戸土産を今につたえているのが、現在スカイツリーのあるあたりなのです。

江戸の昔、武家が住む高台は「山の手」、町人が住む商工業地域は「下町」と呼ばれていました。日本橋、神田、浅草とともに、スカイツリーが立つこの地域も下町にあたります。 下町は今も昔も職人の町。
江戸の伝統を受け継ぐ職人の手仕事の数々を今に伝えるのが、このあたりの小さな家族経営の工場です。

東京・下町のお土産、しかも江戸時代からの歴史を感じさせるお土産を買いたいなら、ショッピングエリアの東京ソラマチがおすすめです。
東京ソラマチは、土産物はもちろん、飲食店、ファッション・雑貨、お惣菜・スイーツの店が軒を連ね、毎日大勢の買い物客でにぎわっています。

まずは4階、ジャパンスーベニアのフロアに行きましょう。
この階では各種雑貨、食品サンプル、コスメグッズなどの土産品が販売されていますが、 一番のおすすめは「まめぐい」の手ぬぐい。
ハンカチ大の小さな手ぬぐいは絵柄が豊富で、下町の風情を味わうことができます。

江戸時代の人はお祭りが大好きで、様々な模様入りの手ぬぐいがありましたが、その模様が粋(エッジーでかっこいい)だとすごく流行し、キッチンでもまた風呂に行く時も、仕事で男の人が腰につけて、汗を吹いたりするのにも重宝したものです。本来の手ぬぐいは頭にかぶる機能も兼ねていたので、大きさは70cm×40cmくらいです。

でも新品を使うのは、お祭りの日です。キリッと鉢巻にして、上半身裸で筋肉を見せ、神輿を担ぐ姿は、女性にセクシーさをアピールする絶好のチャンス。だから、ここはまっさらの新品を使うことが大事だったのです。

その手ぬぐいの結び方をくふうして、かっこよく見せられる男がモテたので、男の子はみんないろいろな紺色や茶色にそめられた長方形の手ぬぐいをどんな風にかぶるか、いつも工夫していたというのですから、面白いですね。

この店では、手ぬぐいと小さなお菓子を選んでレジに持って行くと、店員さんがお菓子を箱に入れ、手ぬぐいで美しく包んでくれます。ここで売っているのは、今説明した手ぬぐいの半分サイズですが、そのまま手渡しできる、キュートなお土産です。
また、この手ぬぐいとそれに合う額縁を手に入れ、あなたのお部屋を飾るのもおすすめです。海外の方なら、これをお土産にすれば、“it’s so cool!!”  でしょう。

Reported by 菅原研究所 青池ゆかり、菅原明子